国の重要文化財 旧開智学校
皆さまこんにちは^^コーディネーターの丸山です。
先日、旧開智学校をインテリアコーディネーターの仲間と拝観してきました。
今回の見学会は「旧開智学校の歴史と建築を学ぶ」というテーマで半年前から企画していたのですが、
開催日の5日前に「国の重要文化財指定」というニュースが流れた為、
当日の旧開智学校は予想以上の混みよう(県民としてうれしい事です。)、こちらも約20名の団体でしたので 校舎内は人でいっぱいでした。
旧開智学校 学芸員様より 詳しい建物の歴史や知識を学びました。
旧開智学校が出来た経緯・当時の建築・大工の役割・小学校の位置づけ等 いろいろ勉強できました。
特に印象的だったのが、地元の大工棟梁「立石清重」の話です。
大工でありながら 今でいう「設計・建築士」の仕事をしており、旧開智学校の他にも 松本裁判所や長野県議会議事堂等も設計されました。
情報が今ほど早くない時代ですので、立石清重は8日ほど歩いて東京まで建築物を見に行き、技法やデザインを自分でスケッチして松本に持ち帰る・・・という努力をされていたみたいです。
当時の建築家の「向上心」というのを深く感じた勉強会でした。
また、近隣に建築された旧司祭館も見学しました。
こちらの設計者はクレマン神父。
本物の洋風建築でしたので、旧開智学校の儀洋風建築との差もつぶさに見れて 面白かったです。
皆さまぜひ、旧開智学校、伺ってみてくださいね。
旧開智学校とは?
旧開智学校は明治6年(1873)5月6日、筑摩県学を改め学制による小学校として、廃仏毀釈で廃寺となった全久院の建物を仮の校舎として開校しました。新校舎は明治9年4月に全久院跡地に竣工し、昭和38年3月まで約90年間使用された、わが国で最も古い小学校の一つです。
校舎の建築には、学事を施政の中心にすえ文明開化を強力にすすめた当時の筑摩県権令永山盛輝の命を受け、地元の大工棟梁立石清重が設計施工したもので、現存校舎のほかに30余室の教室棟が設けられており「広大華麗・地方無比」とうたわれた大規模校でした。
工事は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、およそ7割を松本町全住民の寄附により調達し、残り3割は特殊寄附金及び廃寺をとりこわした古材受払金などで調達しました。
開智学校は後に様々な教育機関に発展し、松本地方の教育センター的役割を果たしました。